1866年以来ベスツ・グレート・ウェスタンは、オーストラリアの歴史的に最も古く重要なブドウ畑を管理し続けていることを誇りに思っています。

 

Best's Wines  ベスツ ワイン

設立/1866年 Great Western(グレート ウエスタン)
オーナー
&ヴィティカルチャリスト(ブドウ栽培責任者)BEN THOMSON/ベン・トムソン
ワインメーカー(醸造責任者)/JUSTIN PURSER/ジャスティン・パーサー

歴史

ベスツ・ワインの歴史は、1866年、ヘンリー・ベストがビクトリアのグレート・ウェスタンで30ヘクタールの土地を購入したことに始まります。そこは、コンコンジェラと言う名前の土地でした。最初のブドウは1867年に植えられ、1869年にはワイナリーとして機能するようになりました。一方、スコットランド出身のウィリアム・トムソンは、グレート・ウェスタンに入植し、1893年にリムニーでワイナリーを購入しました。

1867年以来、ベスツはビクトリアのグレート・ウェスタン地域で表情豊かなワインを手がけています。ベスツは1866年以来、2つのファミリーによって所有されてきました。 一つはワイナリーを設立したベスツ・ファミリーで、もう一つが今日、ヘンリー・ベストの死後、1920年に資産を購入したトムソン・ファミリーです。ベスツは現在ヴィヴ・トムソンの息子であるファミリーの4代目ベン・トムソンによって運営されています。 1860年代に植えられたベスツの最も古いブドウ畑は世界においても古く、フィロキセラ禍以前の珍しい畑です。貴重なベスツのナーサリー・ブロックには、約40種類のブドウ品種が植えられています。(現在まで未確認のものもあります。)

 


ベスツ・ファミリー

ジョセフとヘンリー・ベストは、1834年にイギリスのサリーからオーストラリアに移住しました。当初タスマニアに上陸しましたが、すぐ後にビクトリア州のメルボルンに移りました。 1850年代、彼らはビクトリアン・ゴールド・ラッシュで幸運を求めてビクトリア州の西アララットに移りました。 ベスト兄弟は起業家タイプで、鉱夫の要求を見据えてより多くの利益を得ようと、鉱夫に食肉を供給する事業を設立しました。

1865年、兄ジョセフは初期に立ち上げたワイン栽培者が早くも成功していることを重視し、近くのオリジナル畑のセント・ピーターズからブドウを切り取って植えました。 翌年、弟ヘンリーは、コンコンジェラ・クリークにちなんで名付けられた西の地域に、自分のブドウ畑を作りました。 ヘンリーはクリークの前から約3キロの30ヘクタール土地にブドウを植えました。 彼はこのブドウ畑をコンコンジェラと命名しました。

ワインの知識は乏しかったにも関わらず、ヘンリーの仕事に対する能力はかなりのものでした。自分のワイナリーおよび地下セラーを自分と熟練鉱夫達とで建てたのです。これらは現在でも使われています。

弟ヘンリーは細部にこだわりを持ち、実験をし、自分の畑にふさわしい品種を見つけようという飽くことのない欲求があったおかげで、彼のワインは英国やヨーロッパで知れ渡っていきました。細部とイノベーションへのこだわりは今でも重要視され、今日のワイン生産にも顕著に見られます。

 ヘンリーの死後、息子のチャールズは1920年に会社を地元のブドウ栽培業者であったフレデリック・P・トムソンに売却しました。この時点でトムソン・ファミリーはこの有名なワイナリーを引き継ぐことになりました。


トムソン・ファミリー

ウィリアム・トムソンは1876年にスコットランドからオーストラリアに到着し、製パン業を学びました。メルボルンでのベーカリーやケータリングで切り詰めた生活をした後、それを1892年に売却し、家族は西部ビクトリアに移住しました。

ウィリアムはアララットの背後にある丘陵地帯のリムニーで、果樹園、ブドウ畑とワイナリーを購入しました。そこは奇しくもヘンリー・ベストから13km南の所でした。彼の16歳の息子フレデリック・ピンチョン・トムソンと共に住居を立てて、その場所をセント・アンドリュースと名付けました。1893年のロリマー畑の購入もあって、1892年から1900年にかけて着実に拡大し、トムソン・ファミリーはビクトリア州で最も成功したワインファミリーの一つとなりました。

1908年にフレデリック・ハミル・トムソン(通称エリック)が生まれ、続いて1911年にウィリアム・ハミル・トムソンが生まれました。ファミリーもビジネスも拡大しました。近隣のフェアビューという土地がスパークリングワインのブドウのために購入されました。

フレデリック・ピンチョンは20代前半までには事業を引き継ぐ準備ができており、ウィリアムは製パン業の利益拡大を目指してメルボルンへ戻りました。1924年トムソン夫人は祖国スコットランドから帰る途中の航海で突然死亡し、2年後夫人の後を追うようにウィリアム・トムソンは静かに息を引き取りました。2人とも海に埋葬されました。

彼の息子は1人でワイナリーを背負い、ヘンリー・ベストの息子であるチャールズ・ベストから、ベスト・ファミリーのビジネスとベスツ・グレート・ウェスタンの名称を一万ポンドで購入し、コンコンジェラをフェアビューとセント・アンドリュースのブドウ畑に加えました。

1927年の大恐慌により、オリジナルのブドウ畑であるセント・アンドリュースは売却を余儀なくされ、住居をコンコンジェラに移しました。スワン・ヒル地方でワイン産業を開拓した一家は、その後1930年にミゼリー・ファームと呼ばれた小規模の農園を購入し、一家の最初のブドウ畑を記念してセント・アンドリュースという名前に変更しました。

1949年フレデリックは東アジアへの航海中、緊急手術が必要な状態となり、25年前彼の両親と同様、自宅から遠く離れた香港で死亡しました。彼の2人の息子フレデリックとウィリアムはワイン環境の中で生まれ育ち、ベスト家のビジネスを20世紀全般に渡り受け継ぐことができました。

ヴィヴ・トムソン

フレデリック・ピンチョンの息子フレデリック(エリック)は彼の息子、エリック・ヴィヴ・トムソンと共に繁栄を続けました。ヴィヴはその後最も長く働いたワインメーカーの1人となりました。ヴィヴは高く評価されたローズワーシー大学の卒業生であり、連続50ビンテージを担った、ベスツ・ファミリーの4代目のブドウ栽培者です。ヴィヴ・トムソンの存在により、ベスツはその名声と多くの賞賛を受けています。

ヴィヴは「メルボルン・フード & ワイン・フェスティバル」にて、彼のワイン産業に携わる功績が「レジェンド」として認められました。また、ヴィヴは「ヴィクトリアン・ワイン・インダストリー・アソシエーション」の代表を何年にもわたって務め、「Distinguished Service Award」を表彰されています。さらにヴィヴは、ワイン産業におけるその勤労が認められ、2014年の女王誕生記念叙勲にて国家勲章(OAM)を受勲しました。

ヴィヴ・トムソンの息子のベンは現在、代表取締役兼ブドウ園マネージャーです。ベンは30年以上にわたり家族経営に携り、ベスツ・グレート・ウェスタンの守り人を自身の役割とし、ブドウ栽培の経験と情熱を注いでいます。ベンの息子ヘイミッシュはセラードアの責任者で、ビジネスが円滑にそして可能な限り一貫性があることを確実なものにするため、並々ならぬ情熱で取り組んでいます。

 

我々のチームについて

ベン・トムソン 代表取締役兼ブドウ園マネージャー

 ベスツ・グレート・ウェスタンは今日、30年以上に渡り携わってきた5代目のベン・トムソンが運営しています。彼は歴史的にも価値のあるブドウ畑の維持管理に情熱を燃やしています。それらの多くは1860年代にまで遡ります。彼は土地を愛し、最新の栽培、収穫技術を取り込むことに情熱を持っています。ブドウ畑でトラクターを運転しながらもっと良い品種について研究している彼をよく見かけます。景観の移り変わりの中、夏の数ヶ月間彼は熱心な水上スキーヤーにもなります。

ベスツのワインメーカー
ジャスティン・パーサー

ジャスティン・パーサーは広く国際的な経験と視点をもたらしてくれます。アデレード大学で学士号を取得した後、ジャスティンは南オーストラリアのプリモ・エステート・ワインズ(ジョセフ・ワインズの本拠地)で3年間働いていました。そこから、ニュージーランドのセントラルオタゴのペレグリンワインでヴィンテージを過ごし、高級ワイン産地バローロのジャコモなどで働きました。2008年から2011年の間、ジャスティンはブルゴーニュのヴォルネーのドメーヌ・ド・モンティーユで醸造チームを監督し、グランクリュとプルミエクリュワインの生産を手がけました。 2011年11月、ジャスティンはベスト・オブ・ワインメーカーとしてフランスから移住しました。ベスツの主であるヴィヴ・トムソン、そして彼の息子ベンは、ワインメーカーと40年間共に働き、ハウススタイルの継続と革新的技法の探求を続けています。

グレート・ウェスタンについて

グレート・ウェスタンはオーストラリアで最も歴史があり、高く評価されているワイン産地の一つである中央ビクトリア州グランピアンズの一部で、 登録された小地区(GIC)です。グレート・ウェスタンは、メルボルンから西へ218キロのウェスタンハイウェイ沿いにあり、スタウェルとアララットの町の間に位置しています。メルボルンから西へ車で2時間のグランピアンズ国立公園は、ワインマニアのために隠された宝石のような絵のように美しい自然が点在しています。

最初のブドウは1850年代にグレート・ウェスタンに植えられ、金鉱業のブームが後退し、人々はより恒久的な生活手段を求めました。 1868年に植えられたベスツのブドウ畑には、珍しいブドウ品種が含まれています。いくつかは品種の識別を試みることなく、世界で唯一現存する品種と思われます。

グランピアンズの人々は長いブドウ栽培の歴史の中で、主流である優雅で力強い長期熟成の赤ワインを楽しんできました。赤いチェリーやプラムのフレーバー、スパイスとコショウの香りの滑らかなシラーズは、産地の典型的なスタイルです。

土壌について

グレート・ウェスタン・ブドウ畑の土壌は、シルト土壌の上部からローム土壌のものまであります。一般的に土壌とブドウ畑は降水量が少なく、降雨量の少ない産地では水分を非常によく保持します。 グランピアンズの標高が、中央ビクトリアから東部にかけてのワイン産地の平均よりも低い温度をもたらします。

気候

産地の気候は地中海性で、南大洋(100?200キロ)に近いため夏の間は冷涼な影響を受けます。ブドウ栽培地としては冷涼地で、夏の成長期は温暖から暑い日が特徴ですが、夜は冷涼から寒い気温となります。 秋は穏やかで、快適な天候が続き、良い状態でブドウは成熟します。この産地は黒ブドウ、特にシラーズを成熟させるのに適しています。

ブドウ畑

ベスツはビクトリア州グレート・ウェスタンに豊かなブドウ畑を持つことを誇りに思っています。ベスツには2つのブドウをもたらす地域があります。一つは総本部とも言えるコンコンジェラで、もう一つはリムニーから13km離れたサルヴェーション・ヒルズです。個々のブドウ畑は5年から150年未満ほどの樹齢で、それぞれ明らかに異なるブドウの特徴を生み出します。

元来のヘンリー・ベストの居住地とワイナリー周辺のコンコンジェラには、アイコンレンジワインを生むブロックが含まれています。 1866年設立のコンコンジェラの畑は、近くを流れる絵のように美しいコンコンジェラ・クリーク(Concongella Creek)に由来しています。この土地は平らで、細かいローム質が深層粘土質土壌を覆っています。新しく植え付けされた畑は霜を受けない丘にあります。

熟成期間が長くブドウの成熟がゆっくりしていること、大陸性気候はグレート・ウェスタンの特徴です。冬は寒いから非常に寒い、夏は乾燥して冷涼、時折突発的な暑さを伴います。 マネージング・ディレクターのベン・トムソンは、コンコンジェラで自然に起こるこのストレスがブドウに凝縮した味をもたらすと考えています。 これらの逆境にもかかわらず、コンコンジェラは一貫して高品質ブドウを生み出しているのです。

ベスツ・グレート・ウェスタンの一番新しいブドウ園は、1996年に設立されたリムニーのサルベーション・ヒルズです。サルベーション・ヒルズは、ビクトリア州の小地区グレート・ウェスタンに17ヘクタールにわたっています。 ブドウ畑は霜によるリスクが小さく、様々な深さのシルト岩を伴う細かい下層土を覆う二重のシルト質土壌で、涼しい、温暖な地中海性気候の恩恵を受けています。

 

サルベーション・ヒルズ

サルベーション・ヒルズは、小地区グレート・ウェスタンのリムニーに位置しています。 1996年以来、トムソン家の所有です。17ヘクタールのブドウ畑は、様々な深さのシルト岩の有無にかかわらず、細かいテクスチャーを施した下層土を有する涼しい土壌、地中海の穏やかな気候を享受しています。

サルベーション・ヒルズは霜によるリスクが少なく、その果実は最上としか言いようがないほどです。さらに8ヘクタールの植え付け可能な土地があり、ベスツ・グレート・ウェスタンはさらなる拡大の機会に恵まれています。

この畑ではビンNo. O シラーズとグレート・ウェスタン・リースリングのためのリースリングを栽培しています。 また、グレート・ウェスタンのためにピノ・ノワールを植え、2015年にピノ・ムニエールを植えましたが、3~5年は生産がみこめません。

コンコンジェラ

コンコンジェラは、近くを流れる絵のように美しいコンコンジェラ・クリークがその名の由来です。気候的に冬は寒いから非常に寒いであり、乾いた涼しい夏は、時々爆発的に暑さを伴います。ベン・トムソンは自然に起こる少しストレスがブドウの味を凝縮させると信じています。 

これらの自然な逆境にもかかわらず、コンコンジェラは一貫して高品質ブドウを生み出しているのです。畑は植え付けの新旧が混在しています。ベスツ・グレート・ウェスタンのアイコン・ワインは、この畑のブドウが使われています。

このブドウ畑では、ベスツの歴史においてワイナリーの名を有名にした冷涼地のシラーズを生み出す5つの重要な区画があります。

トムソン・ファミリー・ブロック

ナーサリー・ブロック

バーツ・ブロック

マーカス・ブロック

ホワイト・グラベルズ・ヒル・ブロック

 

トムソン・ファミリー・ブロック

ベスツの最も古いシラーズ畑のごつごつと節くれだったオールド・ヴァインは、コンコンジェラ畑での硬いシルト質埴土壌から砕けやすい埴壌土で生育します。良いビンテージでは、このブドウのすべてがトムソン・ファミリー・シラーズに使われます。ブドウがこの品質に達しない場合は、選別されたものをビン No. 0に使用します。

ナーサリー・ブロック

コンコンジェラにあるベスト・ナーサリー・ブロックは、オーストラリアで最も重要な区画の一つであることは間違いありません。 1860年代後半にヘンリー・ベストによって設立されたこの1.2ヘクタールのブロックは、オーストラリアはもとより世界においても古いと思われるフィロキセラ禍以前のブドウ畑です。そのブドウ品種は39種類以上あり、そのうち8つは未知のものであり、今日まで名前も特定されていません。国際的なブドウ栽培者は頻繁に訪れ、研究やカッティングを試みています。 生きた博物館であり、私たちの歴史の重要な一部です。ベスツは、地球の保護者としての重要な役割を真剣に受け継いでいます。

現在、収穫は手作業で白ブドウ品種に始まり、次に黒ブドウ品種の順で行われています。ナーサリ・ブロックで収穫されたブドウは、2つのワインに使用されています。一つはコンコンジェラ・ブランという白、二つめはナーサリー・ブロック・ドライ・レッドとなります。これらのワインはベスツのセラードアでのみ購入できます。毎年造られているわけではありませんが、できる時は結果として大変ユニークで、土地の特徴である古典的な「フィールド・ブレンド」となります。

バート&マーカスのブロック

ヴィヴ・トムソンが1960年代に海外から戻った頃、ワイン業界は良い状況になりつつありました。ベスツは古くからのブドウ樹を持っていましたが、状態の良くないものもありました。できの良くない畑をいくつかを除去した1966年、それは2人目の息子バートが生まれた年ですが、その区画をシラーズに植え替えてバート・ブロックと名付けました。このシラーズのブロックはコンコンジェラの一角にある古い居住地の隣に位置しており、ベスツのブドウ畑との境界でした。土壌は粘土の上に硬いシルトが覆う土地です。このブドウ畑は大変力強いボディを持っています。このブドウ畑のアロマが凝縮したブドウ果実はビン No. 0 シラーズのバックボーンを形成しています。

ホワイト・グラベルズ・ヒル・ブロック

トムソン・ファミリーは元々、極端に寒い冬と霜の害を避けるためにこの場所に定住しました。1969年、放牧場となっている場所の隣に初めてシャルドネを植えました。現在はシラーズが植えられています。(当時はこの品種が流行りではなかったため多くの人は落胆しましたが。)

 

ワインメイキング

ベスツのワイン造りにおける哲学は、偉大なワインはブドウ園で造られるというものです。最小限というミニマリスト的アプローチですが、細部にはこだわるのが重要です。ベスツでは樽の力に頼りすぎず、また、余分なことは避けています。言い換えるとグレート・ウェスタンのブドウ自らにその素晴らしさを語ってもらうということです。1世紀以上にわたりベスツの伝統的なワイン造りの習慣が尊重されていますが、それにも関わらず長年に渡って驚異的な変革が起こっています。拡大するファミリーにワインメーカーが加わり、スタイルは入れ替わり、最新技術がワイナリーに効率化をもたらしました。しかし、ベスツが目指すゴールは常に偉大なブドウをグレート・ウェスタンで育てることであり、グレート・ウェスタン・スタイルの古典的なワインを造ることでした。

ワインメーキングのすべての要素はベスツ・グレート・ウェスタンのサイト内で行われ、ワインメーカーが品質に関してフルにコントロールできるようにしています。ベスツ・グレート・ウェスタンは、ブドウ畑、ヴィンテージ、そして地域から可能な限りあらゆるものを表現するワインを目指しています。私たちは一貫して並外れた良い品質の、食事に優しい、エレガントで親しみやすいワイン造りを1866年以来続けています。

 

 

 

1868年に植樹された葡萄。